サッカーのオウンゴール世界初はいつ?その歴史と由来

サッカーでは、自陣のゴールに誤って失点してしまうことを「オウンゴール」と呼びます。
森保ジャパンの初ゴールは、このオウンゴールです。

記録が残っている世界初のオウンゴール1888年9月のイギリスです。
日本では自殺点と呼ばれていましたが、ある事件によってオウンゴールと名称変更します。
今回は、オウンゴールの歴史由来について紹介します。

オウンゴールの歴史

世界初のオウンゴール

記録が残っている世界初のオウンゴールはイギリスで起こりました。
オウンゴールをしたのは、アストン・ヴィラのガーシュム・コックス選手です。
彼は、1888年9月のイギリス・プレミアムリーグでオウンゴールを決めました。
詳しい状況は分かりませんでした。
ただガーシュム・コックス選手はディフェンダーです。
守備の最中にもみ合って、最後にボールを触れてしまったと推測できます。

ワールドカップ初のオウンゴール

ワールドカップでの最初のオウンゴールは、1930年に開催された第1回大会で起こりました。
グループ1のメキシコ対チリ戦です。
メキシコのマヌエル・ロサス選手が、試合の2点目にオウンゴールを決めてしまいます。
結局メキシコは一点も取れず、1次リーグ敗退となります。

なお、この試合は日本語サイトによって記録が異なります
ウキペディアでは、オウンゴールの記録はありません。
ワールドカップデータベースでは、オウンゴールと記録があります。
両方のサイトを掲載しますので、比較してみてください。


オウンゴールしても逆転勝ち

1978年のワールドカップで、オランダのアーニー・ブランツ選手はイタリア戦で2点とります。
ただし最初の1点はオウンゴールでした。
同点打を決め、自身の失敗を挽回しました

自殺点からオウンゴールへ|由来となる事件

日本では1994年まで”自殺点”と呼んでいました。
“オウンゴール”という表現に変わるきっかけとなったのは、1994年のワールドカップでの出来事です。
オウンゴールをしたコロンビアのアンドレス・エスコバル選手が帰国後に射殺されるという痛ましい事件がありました。

1次リーグでのコロンビアの状況

当時、優秀な選手を有するコロンビアは優勝候補でした。
しかし、初戦・ルーマニア戦を1-3で落としてしまいます。
決勝トーナメント進出のために、第2試合のアメリカ戦は負けられない状況となりました。
この試合の前半35分に、エスコバル選手はオウンゴールをしてしまいます。
その後、追加点を許したコロンビアですが、終了間際に1点を返すも1-2で敗戦となります。
コロンビアの1次リーグ敗退が決まります
引き分けでしたら、決勝トーナメント進出への望みがありました。
誰もがあのオウンゴールがなければと思ったはずです。

悲劇の射殺事件

コロンビアにおけるサッカーは国民的スポーツです。
そのため国民のサッカー熱は普通ではありません。
1次ラウンド終了後、多くの選手は帰国を拒否しました
そしてアメリカに留まりました。

そんな中でエスコバル選手は「オウンゴールについて説明する義務がある」として帰国しました。
帰国したエスコバル選手は、外食から帰るところ銃撃され亡くなります
犯人は、銃撃の際に「オウンゴールをありがとう」という言葉を口にしたと伝えられています。
当時のコロンビアは、犯罪率が高く殺人発生件数も多く治安が悪い国でした。
犯人の動機について、1次リーグ敗退の報復行為不法賭博シンジケートの関与などと噂されています。

日本での対応|自殺点からオウンゴールへ

以前、日本では自殺点という名称で呼ばれていました。
この自殺点という名称ですが、マスコミでも使われていた言葉です。

この事件の3ヶ月後に、日本サッカー協会は”自殺点”という表現を止めると意思表示します。
死を連想させる言葉を使いたくないと推測できます。
アメリカなど使われているオウンゴールという表現に変わりました。
日本でオウンゴールという表現をする背景には、不運なサッカー選手の事件がありました。

最後まで記事をご覧いただきありがとうございます。
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ゲン
神奈川県在住の会社員。 三歩進んで二歩下がる毎日を送る。 昼寝と映画と散歩が大好き。 気になった情報を発信します。

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